京都民医連第二中央病院広報誌 2005年11月発行 号外

前史(安井病院時代)

原点
「金持ちも貧乏人もわしのところでは同列の患者や」
人を治し、世直しにつくした安井信雄先生

 病院初代院長の安井信雄先生は吉田下大路町で約2年間の夜間開業ののち、1937年10月、左京区田中野神町に今日の病院の土台となる安井医院を開設。当時、保険患者は全患者の1~2割と貧困層の多かったこの地域で「お金はある時に払えばええ」と命は平等を信条に苦労を問わない地域の医師として第一歩を踏み出しました。

 今でも第二中央病院を「安井さん、安井さん」と呼ばれる地域の方が多いことからも地域になくてはならない存在だったことが伺われます。

 また、安井信雄先生は終戦後の混乱の中で、単に医療だけでは解決できない様々な矛盾にぶつかり、それを打開するためには政治を変えることが必要と、市会議員選挙に立候補され、京都で初めて日本共産党の市会議員が誕生しました。


安井病院

安井信雄初代院長

左京区田中南西浦町
的場 ヒサ

 終戦後、服も何もかもお米に替えてただ生きていくのが精一杯でした。そんな昭和21年の春、娘が熱が下がらず呼吸がおかしくなりました。でも着のみ着のまま病院に行くお金なんてとうていありません。兄の「安井さんは貧乏人の味方やで」という言葉を頼りに安井医院の戸をたたきました。「どうしたんや」髪を輪ゴムで一つにくくった貧しい身なりの私を見て安井先生が掛けてくださった第一声です。それが60年近くに及ぶ安井病院とのお付き合いのはじまりでした。「お金のことは言わんでええ。早く家帰って娘さんの頭冷やして待っとり、すぐに行くから」先生はそれから毎日来てくださり、やっと子供に笑顔が出て「もう安心やで」と言われた時には涙が出るほどうれしかったのを憶えています。その後、病院に友の会ができた時、一生懸命させてもらいました。今も患者さんや地域にとって良い病院として発展してほしいという気持ちでいっぱいです。50周年おめでとうございます。