原水爆禁止2017年世界大会・長崎に参加しました!

歴史的な大会に参加して

8月7日から9日にかけて原水爆禁止世界大会・長崎大会が開催されました。7月7日に国連で核兵器禁止条約が採択されたあとに行われた、歴史的な大会です。開会式には、中満泉国連軍縮問題担当上級代表や、田上富久長崎市長も登壇され、「核兵器禁止条約ができた源流に被爆者の声があり、それが集まって大きな流れとなった。
条約を社会の規範とするために、これからも一緒に同じ思いを持って広げていきたい」と語られたのが印象に残っています。

高齢化が進む中で語られる被ばく体験

戦後72年が経ち、被爆者の平均年齢は81歳。高齢化が進み、語り部としての活動がままならない方も増えています。今回お話を聞く機会をいただいたのですが、想像をはるかに上回る壮絶さと凄惨さがあり、背中全面に火傷を負った少年や人骨、標的とされた建物の残骸等、目を覆いたくなる写真も相まって、自分がその境遇に立たされたらと考えることすら怖くなる、耐えがたいものばかりでした。
物資も人手も足りない中、国民学校を病院の代替とし診療が続けられていたのですが、治すには程遠い一時的な対応しかできないため亡くなる人が後を絶たず、校庭に亡骸を積み、まとめて焼く。そんな状態が続いたそうです。
原爆投下直後は情報統制が敷かれ、治療の機会もろくに与えられず、終戦を迎えてもなお、被爆者であることを明言すると差別的な扱いを受けるような状況が続く中で、名乗り出ることもできず、いつ原爆の影響がでるか分からないまま、一人で悩みを抱え込んでしまわれた方はどんな気持ちで生きてこられたのでしょうか。

核廃絶にむけて

「今も苦しんでいる、二度と繰り返してはならない」とつらい体験を語っている方がいて、それを支援し後世に引き継ぐ動きが世界的に広がるなかで、何故唯一の戦争被爆国である日本が先頭に立とうとしないのか疑問を通り越して憤りさえ感じます。
微力でも行動し、せめて条約を批准するよう求めていきたいと思える、重く充実した3日間でした。

井手 瑞希
医局(事務)