京都民医連第二中央病院広報誌 2009年11月発行 vol. 13

水俣病は終わっていない

 水俣病は終わっていない と書き出すと、おや?と思われる方が多いだろう。水俣病という言葉を知らないという人はさすがに少ないと思う。 しかしいまだに問題を抱えているとは…。

院長 門 祐輔

検診を受けたことがない人たち

 今年の9月20日、21日と世間がシルバーウイークと呼んでいる9月連休に 「不知火海沿岸健康調査」(水俣病検診)が行われた。これは、今年の7月8日成立した「水俣病特別措置法」の問題点を実証し、現在水俣病で苦しんでいる患者を掘り起こし、「水俣病は終わっていない」ことを広くアピールすることが目的であった。私は諸事情で9月20日だけの参加になったが、まさしく水俣病は終わっていなかった。

 検診会場は全部で17カ所。私が参加した天草の龍ヶ岳体育館は、朝からたくさんの検診受診者であふれていた。 問診→一次診察(非専門医の診察)→二次診察(専門医の診察)という手順で手際よく、という打ち合わせであったが、なかなか思い通りにいかない。体育館につくった診察室は、仕切られているとはいえ、床にタオルを引いただけの場所でつらい診察であった(写真1)。午後3時すぎに引き上げたため私自身は14人しか診察できなかったが、そのうち13人は水俣病であった。

水俣と御所浦島 ▲写真1 診察風景
検診

 診察で特徴的なのは手足の先にいくほど強くなる感覚障害(四肢末梢優位 の感覚障害)。この有無が診断をつけるときの決め手になることが多いが、 実は一直線上をうまく歩けない、など年齢に比してバランスが悪いことも多い。自覚症状はもっと多彩だ。シビレ、フラツキ、転倒しやすい、こむらがえりがよく起こる、ものが見えにくい、 聞こえにくい、しゃべりにくい、疲れやすい、気力が続かない、…生活に支障をきたす症状がいっぱいだ。しかし多くの人は自分の体はこんなもの、と思っている。

 今回の検診参加者は、これまで一切水俣病検診を受けたことのない人たちである。

-なぜこれまで受けなかったのですか?-

 「知らなかった」「こんな機会はなかった」「水俣病とは思っていなかった」。八代海をはさんではいるが水俣とは海でつながっており、島ぐるみ汚染された御所浦島はすぐ近くだ(写真2 左遠くに見えるのが水俣、右は御所浦島)。中には「水俣病と分かったら、 ここの魚が売れなくなるから」という返事もあった。

-今回受けたのはなぜですか?-

 「チラシが入っていたから」「近所に保健手帳※1を持っている人がいるから」。

2日間で検診を受けた方は1、051人、そのうち水俣病と考えられる人は960人と9割以上だった。その中には国の基準では水俣病が発生しないはずの地域の方もいた。これだけの人が、いろいろな症状をかかえながら今まで水俣病の検診を受けていなかった。あらためて思う、水俣病は終わっていないと。


産業優先の論理

 ここで簡単に水俣病の歴史を述べておこう。水俣病は「チッソ水俣工場から排出された水銀を魚介類が摂取し、その魚介類を人間が摂取したことによって生じた健康被害」であり、4大公害病の1つである。その症状は図のように示される。公式発見されたのが1956年で1959年には熊本大学の研究班が有機水銀であると結論づけたが、厚生省は握りつぶし1968年までチッソ水俣工場は水銀を排出し続けた。そして1968年に政府は水俣病を公害病と認めた。なぜ1968年なのか?この年に水銀を使用する工場は新たな工法に取って代わられたので、原因を公表し工場を停止させてもいい、という判断が働いたからだ!!ひとの命よりも産業優先、という論理だ。この間に汚染は拡大し水俣病患者は増えていく。

メチル水銀の曝露と症状:原田のモデル ▲図 メチル水銀の曝露と症状:原田のモデル

 この産業優先という論理は水俣病の認定についても貫かれる。本来なら、地域全体が汚染されたのだから地域全体の健康調査を行い、そこから水俣病の正確な病像を確立すべきであった。しかし国とチッソは「典型的な」水俣病だけを認定し、それ以外の患者を切り捨てた。そこで行政が行う認定に抗議し、司法での救済を求める裁判が相次いだ。それが水俣病訴訟だ。漁ができなくなり県外へ移住した人たちの中に水俣病の患者がいる。私はその人たちを水俣病と認定させる「水俣病京都訴訟」の医師団に参加した。医師団といっても実質大阪民医連の池田医師と私の2人で、100人を超える原告の診察をし、裁判に出す意見書を書くのだ。なにせ裁判なのできっちりとした診断が求められる。2泊3日の入院をしてもらい、徹底的な鑑別診断を行った。日常診療をしながらなので、大変な作業であったことを思い出す。

水俣と御所浦島 ▲写真2 水俣と御所浦島

 「生きているうちに救済を」ということで多くの裁判が和解という形で終息した。しかし関西訴訟という裁判で最高裁判決が出され、あらためて行政の認定が厳しすぎることが明らかになった。その後行政認定は機能不全に陥り、認定を求める人々が6千人を超えるにいたり、国とチッソは冒頭の「水俣病特別措置法」を画策した。当初反対していた民主党も妥協し成立させてしまった。これはチッソを分社化し加害企業を消滅させること、公害指定地域を解除して、これ以上患者を認めないことを条件に一定の金額を支給するなどとした「救済案」を押しつけるものである。しかも1969年以降に生まれた者は患者と認定されない。1968年以降は工場から排水が出ていないからだという。しかし水俣湾の汚染が急になくなるわけがなく、今回の検診でも1969年生まれ以降の人で水俣病と考えられる患者が確認されている。

 「水俣病特別措置法」の根拠は崩れている。幕引きをはかるのではなく、あらためて国が責任をもって実態調査を行い、 誠実な補償をすべきだと思う。

 私は学生時代、フィールドワークで水俣を訪れ、その被害の大きさに驚き、医師になるとはどういうことか、医療と社会の関係を大いに考えさせられた。それが、今回の京都府知事選挙の立候補につながっている。

 あいまいな決着は許せない。

※1 熊本県のホームページには「水俣病が発生した地域において、水俣病とは認定されないものの、水俣病にもみられる四肢末梢優位の感覚障害を有する方に医療手帳を交付し、また、一定の神経症状を有する方に対し、保健手帳を交付し、医療費(自己負担分)、療養手当(医療手帳に限る。)及びはり・きゅう施術費等を支給しています」と説明している。しかし水俣湾の魚介類を多食し四肢末梢優位の感覚障害を有する人が水俣病であることは、多くの裁判で認められている。