診察室(友会だよりから)

第二中央病院での初期研修

研修医 高橋 雪輝

 初期研修医2年目の高橋です。2009年9月まで、円町にある中央病院で各科の研修をし、10月より5月間の予定で第二中央病院での内科研修を始めました。その第二中央病院での研修も終わろうとしています。この機会に、第二中央病院での研修を振り返らせていただきます。
 初期研修というものは基本的には楽しくありません。それは、目の前にいる患者さんを助けたい、役に立ちたいという思いはあっても、如何せん医者としての力量に乏しいからです。医者として患者さんの治癒に貢献したいという意志と、病態把握・薬物選択などが過不足なく行えないという事実との狭間で、研修医は常に歯痒さや無力感を抱えていることになります。患者さんに対する思いや情熱は、必要でこそあれ、決してそれのみで医療は遂行できないという当たり前の現実の前に、日々不安や恐れを抱いています。もちろんこの研修医の実力不足の責任を患者さんに転嫁させることはありません。最終判断・決定は指導医・上級医が行うので安心してください。
 しかしそんな楽しくない日々の中でも、喜びが随所に散りばめられています。例えば患者さんやその家族に感謝されたとき、例えば指導医の知識・経験を毎日のように吸収させてもらっていると感じるとき、例えば多くの先輩先生方に相談しながら問題解決に至ったとき、例えば他のスタッフとチーム医療を実践していると実感できたとき。
 多くの苦しみと喜びを、この第二中央病院で得ることができました。4月からは他県の病院に赴任することになっていますが、この苦しみと喜びを、いつまでも忘れることはないと思います。


身長と馬の話

内科(神経内科) 磯野 理

 昨年春から第二中央病院に勤務するようになり、健康診断で久しぶりに身長を測ったら3cmも低くなっていたので驚いた。最近背中が円くなっている、とよく指摘されていたので今年の健診ではできるだけ背筋を伸ばしたりしてみたが、それでも2cm低かった。歳をとるとはこういうものかと諦めた。
 先日、勤務中急に右側の背中が痛くなり我慢できなくなった。1時間ほど処置室のベッドで悶々としていたが急に痛みがとれた。腎結石だった。レントゲンに膀胱に流れ落ちた石が写っていた。しかし石よりももっと驚いたことがあった。背骨が右側に突き出す感じでくの字に曲がっていた。3つの背骨(脊椎)が少しつぶれて曲がっていた。これが身長が低くなった理由だった。最近腰が痛むのもこのせいかと納得した。背骨が曲がった訳は落馬だった。
 10年以上前のことになるが、乗馬クラブのクレーターという若い馬に振り落とされたのだ。円を描いて走っている時、急に馬が内側に横っ飛びしたため上に乗っていた人間だけがそのままの軌道で空中を飛んで地面にたたきつけられた。しこたま腰を打ち息ができなかった。考えてみれば腎結石よりよほど痛かった。翌日仕事に行ったが腰をかがめることができなかった。あの時の傷だったのか。クレーターの顔(馬面)が蘇ってきた。そういえばあの乗馬クラブの馬は皆すれていて、一癖も二癖もあった。落ちても馬に乗るのは楽しい。実は最近5年間いろいろな事情があって殆ど馬に乗っていない。また乗りたいと思っているのだが、背骨のことが妻に知られたら絶対反対される。ただでさえ、下手糞の上、歳をとっているのだからもう二度と乗るなと釘を刺されているのだ。


「夏の肺炎」について

内科 下之内 康雄

 蒸し暑いい日々が続く日本の夏ですが、夏季限定に発症する肺炎があることをご存知でしょうか。通常は肺炎というと、風邪を引いたり、インフルエンザに罹ったりした後に様々な病原体が肺に入りこんで、その病原力によって肺が傷害される病気で、冬季に多いというイメージがありますが、一方で、夏型過敏性肺炎という夏季限定で発症する病気があります。
 夏型過敏性肺炎は、“トリコスポロン”というカビの一種を吸い込むことで、体がアレルギー反応を起こし、発熱、咳、呼吸困難といった症状をもたらす病気です。
 高温多湿な環境を好むトリコスポロンは日本の夏の気候が大好きで、木造住宅の風通しの悪い場所、畳の中、浴室周辺の湿った場所、エアコンのフィルターなどに住み着いて増殖します。
 トリコスポロンの増殖している環境に曝露され、知らず知らずのうちに吸入することで、数時間後くらいから、発熱、咳といった風邪のような症状が出現しますが、その環境を離れることで症状が軽快します。ただし、に食い込み、炎症が起こり化膿して激しい痛みを伴うことがあります。どちらも足の親指に起こりやすく、早めに対処することが大切です。
 再び同じ環境に戻ると、やはり発熱や咳といった症状が繰り返し出現します。「夏風邪が長引いているな」と軽く考えていると、次第に肺炎が進行し、息切れ、呼吸困難が出現してきます。
 早期に診断がつけば、必ず治る病気ですが、診断が遅れると肺の病変が元に戻らなくなる可能性もあります。
「日中はどうもないのに、夕方帰宅すると、必ず夜になって熱や咳が出る」「最近、クーラーを使い始めてから熱や咳が続くようになった」「どこそこの場所に行った後には必ず熱や咳が出る」といった症状があれば、夏型過敏性肺炎の可能性があります。
 心当たりがあるようでしたら早目に医療機関で相談されることをお勧めします。


女性がかかりやすい外来をめざして

内科 中川裕美子

 最近、人が「生活を維持する」ということは本当にたいへんなことだと思うようになりました。未曾有の不況のなかで、収入を断たれる、家を失う、家族を失う、健康を失う・・・普通に働いていた真面目な労働者達がこのような厳しい現実に直面しています。
 実は女性達は、もっと以前から派遣社員として差別を受けたり、解雇されたりしてきたのです。世の中の矛盾は弱い立場である女性に集中する傾向があると思います。家庭的にも男性の受ける矛盾が女性にも影響を与えています。
 医師になって20年近くなってきました。気がつけばもうすぐ更年期にさしかかっています。 人間の寿命はこの半世紀で30年延びましたが、女性の「卵巣年齢」は、何千年も前より変わっていないそうです。
 つまり必ず女性は更年期をむかえるということ。逆にそれまでの間、生殖機能としてだけではなく女性ホルモンは女性の体を守ってきたのです。更年期以降、程度の差はあれ、皆、体調の変化に悩まされます。
 いろんな「女性のつらさ」に共感し、一緒に解決の糸口をさぐりたいと考えています。
 女性医師も増えています。ほぼ毎日、女性医師が外来に出ている病院を目指しています。
 各医師が自分の専門分野や得意分野を生かしながら、診療に取り組みたいと 考えています。男性医師にも協力してもらいながら、かかりやすい外来にしたいと思っています。
 今年度の新たなとりくみとして「女性外来」の開設を予定しています。第1・3月曜日、午後に私が担当する予定です。「女性の健康のよろず相談所」をめざしています。まずじっくりとお話をきかせていただくところから始めたいと思っています。よろしくお願いいたします。


「第二中央病院」勤務で思うこと

精神科  近藤 悟

 医師になって十数年。これまで幾つかの医療機関で勤務しましたが、勤務が一番長いのはダントツで「第二中央病院」です。
 世の中と医療制度の変化に合わせて、いや合わせざるを得ず、病院のシステムやら診療科やら患者さんの内訳やらが変化しました。そういう変化とともに自分も変化し、させられ今に至っているわけですが、総じて言うと病院も自分も「まあ何とかやっているじゃないか」という感想を持ちます。問題はいっぱいある。変えなくてはいけないところもある。それは病院という組織も自分も同じ。両者を生まれながらの資質と歴史を背負い、環境との適応をはかっている生き物として見ることが許されるなら、お互いに多少親近感やら愛着やらがわいて来ます。
 話しは変わりますがアイデンティティという言葉には二つの側面があります。
 一つはどこかに所属しているという感覚、もう一つは時間軸の中で何かが一貫して自分の中に持続してあるという感覚。
 最近思うのは「アイデンティティの確立」というのはそんなに勇ましいことでも、華々しいことでもないということ。
 アイデンティティの確認には、あきらめだったり、「なんやそういうことか」という懐かしい感覚だったり、寂しいようなでもほっとするような感覚だったり、そういう気持ちが伴うものだと思えてから「アイデンティティ」という言葉が腑に落ちて使いやすくなりました。
 最近は病院の、そして自分のアイデンティティをぼんやりと考えます。


医師の、あーでもない、こーでもない

内科 堤 岳彦

 経口摂取困難な人にとって、自然とはなにか。偏りのない考えはない。胃ろうを造設するのはそもそも誰の希望か。本人か家族か医者か世間か国家か。考え続ける今日この頃。
 ほんの10年かそこら前のこと。大学病院の研修医は大変でした。毎日7時から23時まで働いて、カンファの前日はほぼ徹夜。受け持ちの患者が発熱でもしたらなお大変。
 診察した後、血液検査、尿検査、レントゲン検査。すべて自分でするしかない。採血して、遠心して検査機器に流す。尿をとって、遠心して、顕微鏡をのぞく。レントゲンもポータブルを引っ張ってきて、自分で撮影、現像する。
 必要なら痰もとって、グラム染色して、検鏡する。点滴が必要と判断したら、オーダーして、薬局に取りに行って、ミキシングして、点滴する。大体2時間コース。今は、すこしましなようですが。
 何がいいたいかとゆーと、この病院はいい病院だということ。
難点は、字が読めないこと。院長の字が読めない。自分の字はきたないけど、たいてい読める。読みにくい字を読むのが、どっちかとゆーと、得意といってよい。S先生の字や、S先生の字や、S先生の字。あ、みな同じ先生か。悪筆になれた看護師でも読めない「S先生の字」を読んできた。それなのに、院長の字は読めないのだ。これには困った。困った。どーしよーか、と、途方に暮れたが、電カルになった。
 よかった。読める!私にも院長の字が読めるぞ!いや、院長の入力した文字です、それは。


イノさんのこと

内科 石橋修

 『学校』(山田洋次監督)という映画を観た。競馬狂いで酒飲みの気のいいおっさん、夜間中学の生徒が田中邦衛演ずるイノさんである。いろんな事情で学校へ行けなかった、そんな生徒たちのエピソードを重ねるわけだが、イノさんが主役といってもいい、そんな話である。
 イノさんは、初老になるまで肉体労働で体を酷使し、読み書きもできなかった。夜間中学で習った初めてのカタカナで“オグリキャップ”と黒板に書き、競馬の話で大いに盛り上がる、そんな憎めないおっさんである。初めて書いたはがきは、竹下景子演ずる国語の先生宛のラブレター。そして、断られると、大酒のんで大暴れ。担任の黒井先生にも「一日休んだらおまんまの食い上げのおいらと先生とは血統が違うんだ・・・」などと逆ギレ状態である。
 酒癖は悪いが、一生懸命ひらがなを書き人を好きになるイノさんを、山田監督はほんとうに愛情いっぱいに描いている。
 ちょっとしたことで切れて、外来で大きな声出して、看護師さんたちを困らせる、 (イノさんみたいなおっちゃんいたよなぁ・・・・)
 何人かの患者さんの顔が頭に浮かぶ。そして、冷や汗が出てくるの(あのときどんな顔で接していたのか)である。
 顔に出やすい私のことだから、多分(まいったなぁ)くらいの顔はしていたことだろう。などと、反省しつつ。
 大酒飲んで二日酔いのイノさん。翌日のことである。「真っ黒い糞が出るんだよ」下血で即精査入院し、かなり悪い病気だったようである。胃ガンか、食道静脈瘤かわからないが、イノさんはあっという間に故郷の山形に帰り、亡くなってしまう。
 イノさんは国保かな、保険料は払えていたのだろうか、検診は受けていたのだろうか、受診表や問診票が書けないし、病院を敬遠していたのかもしれない、などと心配になる。
 そして、また何人かの患者さんの顔が浮かぶ(もうちょっと早く受診してくれれば・・・) 心の中でつぶやいたことは一度や二度ではない。
 イノさんは、患者になることができなかった、というべきか。そして、この地域に、まだ見ぬ“イノさん”が、患者になれずに私たちを(待っている)最近そう感じる。
 そして、私は山田監督のように暖かい手で“イノさん”を診察できるだろうか。そして、イノさんはどこにいるのだろうか。